「ミスター」 回想録

「ミスター」 回想録

『ミスター』こと私の回想録を書いてみた。その中には、海外で暮らす駐在員の子どもたちの心情もちらっと見えかくれしているかもしれない。移住者やブラジル日系人とは違った環境の中で育っている彼らたちと過ごした日々を綴ってみた。


 海野 月 作

一学期編 第一話 『プロローグ』

 ブラジルに渡り、二十四年が経ったときにこと。2011年から、四年間あまり続けた運転手の生活から一変して教員として生活することになった私。教科担任として五年。奉職当初から、校長に早いうちから担任をしてほしいといわれ続けてきた。ただその実現は、そういわれてから五年後のこと。教員免許状は大学のときにとって、そのまま、しまいっぱなしだった。そんな私が、海外の日本人学校で教鞭をとるようになった。学習指導要領に沿ったやり方で教育...といわれてきた。しかし、子供たちによって、教え方は違う。教えるというよりもみんなで『学ぶ』ことの大切さを教えたかった私。そんな私が海外の日本人学校で学級担任を任された。『ミスター』と子供たちに命名され、学級担任の生活が始まった。私にとって貴重な一年間となったこの学級担任としての生活ぶりを回想してみたい。


一学期編 第二話 『ミスター 由来』

 今ここで書いておかないと、もう、書くことを忘れてしまいそうなので最初に書くことにする。私は、クラスのみんなからミスターと呼ばれるようになった。 それはある日の英会話の授業でのこと。いつもの通り、私は連絡帳をチェックしたり宿題を添削したりしながら、ちょっと遅れて英会話の教室に入っていった。すると、英会話の先生が私に

『Good Morning Mr.Takeda』と言われた。それが、始まりだった。なんとも単純明快な理由である。もっと、複雑怪奇な理由があるかと思うかもしれないが、大した理由はないのである。だから、書き忘れるかも...だったのである。彼らは、先生のことを「ミスター」と呼ぶということを知らなかったのである。すると、彼らはミスターのところだけ聞き取り、いつでもどこでも

「ミスター、喧嘩して泣いています。来てください。」

「ミスター、怪我しちゃいました。すぐ、来てください。」と呼ばれるようになったのである。あまりにみんなが私のことを愛称で呼んでくれるので、私は、

「ミスターじゃないよ、ミスったー」と言い返してあげるのである。ミスター長嶋のようでちょっと、イヤなのだが、かわいい子供たちにはそんなそぶりを見せず、呼ばれて喜んでいるふりをずっとしていたのである。


一学期編 第三話 『前年度 三月 卒業式』

 学級担任ほどではないが、学年末はいつも忙しい。様々な学校行事の音響を担当している私としては、一番緊張するのが、この年度末に行われる卒業式なのである。厳粛な式が行われているときに、失敗は許されないという重圧感を卒業式の日が近づくにつれ、ひしひしと感じてくるのである。緊張はいつも通りしているものの、不思議とどこかリラックスをしていた。卒業式の練習に立ち会い、準備も音響設備のチェックをいつも通りはじめ、折り畳みの椅子の並び具合や埃を拭いている生徒たち、いつも通りの式場設営を見届けていた。整然と並んでいくパイプ椅子。体育館を彩る赤絨毯。様々なことに気を配りながらすべての準備が進んでいった。そして、卒業式が始まった。卒業生の中には私の社会の定期テストで百点満点を取った三人の女の子もいた。自慢ではないが、私の定期テストは、中学部の先生方の申し合わせにより平均点が60~70点になるように巧妙に計算されて作成されている。すべての問題は自作であり、どこにも同じ問題などない。しかも、私の問題はすべて公開されており、各生徒に勉強をしてもらえるように返却をあえてしているのである。実は、ほかの先生方からは、結構、嫌がられている。それは、定期テストを作るのが面倒になってしまうからである。しかも、模範解答つきで返却するから、なおさらである。それは、海外生活が長いため、高校入試にも重要な主要三科目である国語・数学・英語とは異なり、意外と軽視されがちな社会。社会についてもっと、興味をもってほしいという私の気持ちから校長と相談して、問題用紙ならびに模範解答を返却しているのである。それでも、基本の知識を頭に詰め込んだだけでは解けないように工夫を凝らしている。だから、私の問題で満点をとることは非常に難しい。当の本人である私でさえ、解くのに時間がかかってしまうことがある。そんな問題を定期テスト約一か月前から作り終え、あとは生徒の勉強具合を見ながら、問題をすり替えしたりして、平均点を調整しているのである。その私のテストで満点を取ったあの三人の女の子。採点をしているときに、私は涙がこぼれた。これだけ、受験科目以外を真剣に勉強をしていることに感動したのだ。試験が近づくと、スクールバスのなかで勉強をする生徒が増える。面白いのは英語、数学、国語より、社会の教科書を開いて必死に勉強をする生徒が目立つことである。実際、うかうかしていると30点くらいしか取れない。だから、必死なのである。偏差値が60くらいはある生徒がざらにいる本校では、ただ教科書通りに太字の問題を出したところで意味がないから、ちょっとした工夫をすることによってぐんと難しくしてしまうのである。社会は世界情勢や文化を知る上でもとても重要な科目であるにも関わらず、受験科目になっていないという理由からほとんどの生徒が勉強しないのである。それを半強制的に勉強するように仕向けたのが私である。教科書と日常の出来事を結び付けることにより、より身近なものとし、日常生活に不可欠なものであることを授業で訴え続けたのである。

 さて、卒業式はいつも通り行われ、とくに問題なく終わった。これで、私の最後の音響を担当する卒業式だと思い、郷愁に浸っていた。でも、それは束の間だった。

一学期編 第四話 『前年度 三月 引っ越し...』

 私は、ギリギリで動くのは嫌いだった。ゆとりを持った時間ですべてができるように計画を立てて実行するのが常であったが、この学校で働いている限り、それを実現することがかなり困難である。その一つの理由に校地面積が非常に広いことがあげられる。私は中学部の机にいろいろな資料を置いていたから、小学部に移動しなければいけない。卒業式が終わるとその引っ越し作業で大わらわだった。背広を脱ぎ、普段の洋服で、せわしく、中学部から小学部に私の荷物を運んだ。情報の資料や社会の資料。図工・美術の資料。おいていくものや処分するもの、色々と分けながら、引っ越し作業を進めていた。引っ越し作業は、学校で一番高いところに位置する中学部棟から職員室へ運びこまなければならず、とくに卒業式前日まで授業をしなければ間に合わない社会の資料は、職員室にもっていかれなかった。だから、非常にギリギリで汗を垂らしながら引っ越し作業をしていたのである。ただ、この引っ越し作業のほかに、締め切りの書類の提出もあり、非常にあわただしかったのである。そして、次の仕事の準備も視野に入れながら、動かなければならず、たった半日の引っ越しがどれだけ忙しく大変だったかは想像をはるかに超えたものだった。次の社会を教える先生のために引継ぎ資料をたくさん用意し、整理して、渡した。また、参考書も古いもの、新しいものと仕分けをした。ロッカーにしまえるものはしまい、机に置いておくものは机に整理しておいた。世界地図などの白地図や様々な資料も整理して、引き出しは空っぽにした。溜まっていたゴミもとり、きれいにした。立つ鳥跡を濁さずであるが、多少、濁っていたかもしれない。こうして、前年度三学期の最終日を汗だくで終えたのである。

一学期編 第五話 『四月 準備』

 桜は咲かない。ブラジルは、入学式の時期に桜は咲かない。大体ブラジルに桜をもってきたのは、日本人。しかも、気候の違いから、暑いところでは咲かず、葉桜になってしまう。咲いたとしてもブラジルの国花である「イペー」だけである。だから、四月の卒業式は、体育館の入口にある桜は見るも無残な姿なのである。例年、新年度が一日から始まる。会議も多いが、小学部に移籍となった私の忙しさは、三月の比ではなかった。入学式の音響を担当になっているが、卒業式のセットがそのまま使えるため、とくに難しくはなく逆に楽なのである。ただ、今回、小学部二年生の担任をすることになったことから、教室環境の整備という仕事が増えた。この学年は二クラス。私は、一組担当。あとで知ったのだが、一組担当の先生って基本は、学年主任を意味するのである。私は知らなかった。ただ、実際問題、私にとって時間的な余裕もなく、二組の先生が学年をまとめてくれた。ただ、低学年ブロックにはそのブロックの主任がいるため、その人がフォローしてくれたから、とっても助かった。準備といってもまず、名前付けから始まる。ランドセルや音楽や図工で使う鍵盤ハーモニカや絵の具セットを置いておくロッカー、机、靴箱。名札を印刷してパウチっこ。黒板に磁石で名前札をつくり、係の表や日直にも使った。不要なものはとり、教員準備室の整理もした。名簿の作成、連絡網の作成、要録の整理は低学年ブロックの主任がしてくれていた。クラス編成会議なるものもあり、特に問題ないようにクラス編成をするように話し合ったのだが、結果的には、結構問題は起きた。案ずるより産むがやすしなのだろうかと思った。学級目標も立てないといけない。二クラスあるところから、その学年の目標に沿った形で目標を決めないといけない。ところがそんなことを気にせず、私は学級目標を「思いやり」と決めていたのである。中学部三年生教室には花言葉として、「相手を思いやる気持ち」を表すザクロが植樹されている。たった七名の卒業生が当時の担任に

「なんでもいいから苗を買ってきてくれませんか」と頼まれ、何にしようかと迷ったあげく、ザクロにしたのである。ザクロは手がかからない。根が活着するまで、水もさほど必要がない。雨の少ない地域でも育つ強い植物であることから、ザクロにしたのだ。小さな苗だった。草にも負けないように私が、暇を見ては周りの草を刈った。そして、見事に育ったのである。この一本の密かに七名の卒業生が植えたザクロを中心に私の新しい一年間は始まろうとしていたのである。

 教室の前には丸い形をした学級園がある。私は暇を見ては耕した。敷石の合間から生えている雑草も抜いた。その雑草は、枯らしてから学級園に置いた。肥料をやるよりも腐葉土を作る方がずっと、土に良いからである。この学校、行事が多いことでも知られている。そのため、先生方はなかなか学級園に力を入れたがらない。所謂荒れ放題な学級園が教室前を飾ることになる。小学部二年生教室は、保護者の皆さんがよく通る場所に位置していることもあって、私は教室の環境整備を教室の外側から自らの手を使ってすることに決めていたのである。

 まだ、忘れているものがあった。時間割。たたき台を作り、色々と直してもらって、二組分完成。それに、席順を決めなければいけない。専科の先生方も来られるため、一応出席番号順に工夫をしておいた。二組の先生がブラジルに到着するまでの間、私が一組と同じように準備をしておいた。もちろん、席順も決め、電話連絡網、出席簿、児童名簿など、すべて準備しておいた。クラスのメンバーを示した表は、始業式当日にはられることになった。こうしてあわただしい準備を終えた。もう、入学式直前である。

第六話 『一学期 四月 始業式』

 名札をどうやって作ろうか。ワードで枠を作って、人数分。余分も作って、ぱうちっこ。やっとできた...編入してきたらその都度、手書き。これで、とりあえず、名前は付けられた。順番?そりゃ、出席番号順でしょ。でも...席順は?どうしようっかな。(続く:ミスターの私生活より)

一学期編 第六話 『四月 入学式』

 一日たった翌日、また、例のごとく元気に登校してきた。今日は、みんなで入学式。入学式にふさわしい思い思いの服装で来ていた。もう、あのサッカーのユニフォームのような子はいない。私はいつものように放送席に座って時間が来るのを待っていた。そして、二年一組のみんなも着席した。私の心配通り、足はぶらぶら、手は動かし、体は揺さぶり、隣の友達とお話、顔はきょろきょろ。落ち着きが終始なかった。遠いところでスタンバイして持ち場を離れなられない私は、困ったものだと思いながら見ていた。案の定、入学式の評価・反省で様々な先生方から指摘された。所謂、集中砲火を浴びた。それは仕方のないことだった。先生方から指摘される前に私は、帰りの会に

「今日の入学式でよそ見やおしゃべりした人、手を挙げて」とみんなに問いかけた。すると、おそるおそる手を挙げる人が何人かでた。

「なんか、話した気もする」と言いながら、ゆっくり手を挙げる子。怒られると思い、戸惑っているのだろう。私は、続けた。

「姿勢って、大事だよね。聞く姿勢は、話している人の目を見てきちんと座って耳を澄ますこと。できるかな。」と注意を促した。こうして、私の指導は「姿勢」を中心に動いていくことになるのである。実は、小学校二年生の国語の教科書四ページに書かれてある「読む姿勢、聞く姿勢、書く姿勢」とダブらせて、指導していたのである。「姿勢」は、学力云々よりも大切だと私は思う。まず、学習するという姿勢、向上心を常にもち、基本の姿勢を大切にする人は将来、伸びる可能性を秘めているのであると私は思う。こうして、ふらふら、ぶらぶらの二年一組は来年の三月に向けて駆け出したのである。

第一学期編 第七話 『四月 学級通信 創刊号から』

 私の学級通信の創刊号は、みんなの意表をついた形となった。みんなが横書きの今風の学級通信であるにも関わらず、私の学級通信だけ、縦書きにしたのである。まず、内容よりも形式に注目されてしまった。保護者というよりも同僚のみなさんから注目を集めたのにはびっくりした。学級通信の書き出しは、次の通りである。

~ 進級おめでとうございます ~

 新年度がはじまりました。新たな気持ちで新たな友だちと新たな学校生活がはじまりました。『新しい』ことの発見は、成長の糧です。時間割は、毎週、ほとんど変わりません。でも、学校生活は、決して、同じことのくり返しではありません。毎日、何かが違っているはずです。その違いが、新しいことなのです。その新しいことを発見したとき、成長していると思います。新しいことをいっぱい発見できる一年間にできたらと思います。

 私の学級通信は、「ザクロのように...」と題をつけた。「相手を思いやる」というザクロの花言葉のように思いやりを大切にする学級を目標にすることを保護者の皆様に周知したのである。そして、私の最終的な活動目標として、考え、判断、そして行動することができる児童を育てたい旨をうたった。同僚は「ドクロのように...」ですかと茶化してくれたが...

反響のほどは知る由もないが、とにかく、44週までのすべてのファイルを作って今後の激務に備えたのである

第一学期編 第八話

 でも、まだ、物足りない教室風景...そう、学級目標がない。作らなきゃ。といっても先生主導の目標なんて思われるのもいやだし、そうだ、みんなの手形でもぺたってはってもらおう。そうしたら、あったかみがでるし。みんなの手作り「思いやり」。これ、私の目標!(続く:ミスターの私生活より)

第九話

 さて、座席も決まった。ロッカーも決まった。靴箱も決まった。学級目標も決まった。さて...教科書の搬入作業だ。結構、重いじゃん。職員室と教室は別棟。もう、大変。運ぶだけでも大変。冊数を数えるのも大変。おらないように汚さないように...できた! (続く:ミスターの私生活より)

第十話

 学級通信を作らないといけない。まず、枠づくり。実は、学校の一年はは44週で終わる。そこで、44個の枠をWordで作ってしまった。なんで、「しまった」と書いたかというと、一週に2回出す週があるって知らなかったから。別に一つにまとめればいいと思うんだけど。(続く:ミスターの私生活より)

第十一話

 わたしの学級通信の枠は、縦書きが表、横書きが後ろ。和洋折衷の学級通信にした。いまどき、縦書きの学級通信なんてないし、みんな自分の思いをダラダラ書いておしまいっていうのが多い。それより、子どもたちの生の姿を伝えたかった。(続く:ミスターの私生活より)

第十二話

 わたしの学級通信は、どういうわけか、みんなの注目の的になってしまった。まず、縦書きであることが、新鮮だったようだ。そして、書く内容が短く、毎週起こる、彼らちびっこたちのドラマを凝縮してお届けしていたからだと思う。 (続く:ミスターの私生活より)

第十三話

 学級通信も単学級でない限り、他クラスと合わせないといけない。ただ、当初から今年一年限りの担任生活と決めていた私は、最初のうちは合わせていたものの、途中から暴走し始めた。授業もしかりである。わたしにとって悔いのない一年にしたかったからだ。(続く:ミスターの私生活より)

第十四話

 学級通信の名前の由来。私の学級目標は、「思いやり」。思いやりに近い花言葉を持つ植物といえば、ザクロ。何年か前に中三が当時の担任とこっそりと植樹していった。その木にあやかって、「ザクロのように...」と決めた。実は、その苗、私が買ったんです。(続く:ミスターの私生活より)

第十五話

 私の学級通信は、茶化された。「え、ドクロのように...ですか?」しかも、内容が内容なだけに、誰に向けて書いているんだとの疑問も投げかけられた。そのとき、私も、一体、誰に向けて書きゃいんだって思った。そして、自分のスタイルの学級通信が出来上がった。(続く:ミスタ―の私生活より)

第十六話

 私の学級通信の表は縦書きで、連絡事項、一週間の出来事、そして、私の所感。裏面は、時間割り、授業内容、持ち物、〆切など。表に欠けなかったものを裏面にも書いた。児童の活動している写真や文章など、ほぼ原文でありのままに伝えるように努力した。(続く:ミスターの私生活より)

第十七話

 私の学級通信をもとに たった一年間の担任生活を振り返ってみたい。第1号から第44号まで綴られた。まず、第1号では、学級を目標を掲げた。ザクロの花言葉は、『相手を思いやること』。ザクロのように、思いやりを大切にする学級になってほしいと。(続く:ミスターの私生活より)

第十八話  ~考え、判断、そして行動~

 自ら考え、状況判断、そして、行動。実践しながら、成長をしてほしいことを伝えた。この三つを身につけ、自立した人間になってほしいことを書き綴った。不安と期待の入り混じった第1号だった。 (続く:ミスターの私生活より)

第十九話  ~入学式~ 

 私が音響担当のため、クラスに入れない事態が一年間続いた。その中で、私の秘策は、児童たちの自立にあった。まず、頭フラフラ、手足もじもじの入学式の態度を「姿勢」の大切さをみんなに訴えた。そして、私がいなくてもできるように... (続く:ミスターの私生活より)

第二十話  ~初めてのクラス集合写真~

 みんなで写真を撮ろう。それが、学級最初の仕事。これには、誰かに取ってもらわないと三脚を持ってきていない私には無理。そこで、養護の先生に頼むことにした。みんなで緩やかな坂道を駆け上り、ロータリーを横切った。(続く:ミスターの私生活より)

第二十一話  ~クラスのメンバー~

 男子十一名、女子六名の計十七名の個性あふれる元気いっぱいのクラスでスタート。学級会はケンカになって話し合いどころではなかった。議題さえ、話し合いどころか口喧嘩になってしまい、それどころではなかったのである。(続く:ミスターの私生活より)

第二十二話  ~勉強~

 学力の差をなくすために、手始めに、勉強のし方を教えようと思った。そこで、『勉強』の定義から入った。『勉強』って、分からないことを分かるようにすることと板書し、みんなノートに書き写した。大切なことは、好奇心を育てること。(続く:ミスターの私生活より)

第二十三話  ~消しゴム~

 勉強をするとき大切なことは、きれいなノートを作っていくことでない。消しゴムを使わせないようにすればいい。それは、間違った箇所を『見える化』するためである。苦手な部分、わからない部分を克服できるノートづくりこそが大切。(続く:ミスターの私生活より)

第二十四話  ~ノート~

 教科書に書いてあることを板書することは簡単だ。ところが、私が教科書にないことを書いてそれを一生懸命にノートに書き写すちびっこたち。教科書は時数制限があるため、しりきれ尻切れトンボで面白くない。勉強嫌い製造書に間違いない。(続く:ミスターの私生活より)

第二十五話  ~持ち物~

 すべての持ち物には名前を書かなければならない。保護者にとっても負担である。しかしながら、落としたときにその苦労が報われるのである。子供たちの忘れ物の多いことったらありゃしない。体を忘れないのが不思議なくらいである。(続く:ミスターの私生活より)

第二十六話  ~朝の会~

 いつも『朝の会』が児童との学級活動のはじまり。朝の挨拶にはじまり連絡事項を伝え、一日の時間割を確認する。もちろん、健康観察も出席をとるときに行う。返事の仕方をみながら、その子の行動を把握していくのである。これが一日が始まり。(続く:ミスターの私生活より)

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