戦後最後の花婿移民奮戦記

戦後最後の花婿移民奮戦記

第001話 『プロローグ』
 日本のごく普通の家庭に生まれた私が
半生を書き留めたいと思い始めたのは、
いつのことでしょうか。忘れてしまいました。
でも、いつの間にか、ブラジルでの移住生活が
はじまっていた私。
普通に育ち、普通に学校生活を送り、
社会に羽ばたいた私が、いま、この南国のブラジルで、
時代遅れ、しかも、死語になりつつある
『移住』生活を送ることになって、二十年余り。
 目立つこともなく、極普通のわたしが、
なぜ、日本を離れてしまったのでしょうか。
別にいいじゃないですか。いろんな人生があっても。
ちょっと、気にかけてくれる人がいたら、それでいいです。
 前置きが長くなりましたが、このブログを書こうと
思った動機は、このまま老いてしまって、
いままで、大したこともせず、一生を過ごすのが
いやだなぁと思ったからです。
みなさんも、普通に生きて書くことがないなんて
思うかもしれませんが、
結構、いろんなことがあると思います。
それを少し書き留めて置きたいと
思い始めてだいぶの年月が過ぎてしまいました。
 いろんなことをいろんな風に形にこだわらず、
ここに書き留めます。
 そして、運が良かったら出版できるかもしれません。
最近、わたしの文章が活字になったばかりなので、
お金はかかるかもしれませんが、いつの日か、
わたしの文章が、公然の場で読まれる日を夢みています。
 この『プロローグ』の内容は、普通、
全てを書き終えたくらいに書くとちょうど良いと
思いますが、まだ、わたし、書いてないです。
でも、心配しないでくださいね。
 このブログを読み始めて『後悔』したら、
もう、読まなければ良いのですから。
 でも、『後悔』は、読んじゃったあとに
来るものですから、一度は読んでみないと損かも。
 人生は、やってみても、やらなくても、どちらにしても、
『後悔』はするものです。
 大切なことは、その『後悔』をみんなに『公開』して、
『公海』を『航海』していくことではないでしょうか。
 と、くだらないことを書き始めてしまいました。
 わたしの性格がそうさせるのです。あしからず。
 兎にも角にも、わたしの作品のことに何一つ触れず、
 このまま、私の半生を書いた、
『戦後最後の花婿移民 奮戦記』が始まりそうです。
どうぞ、お楽しみください。
『プロローグ』にしては、よく書けたかなと
自己満足しながら、そろそろ、作品にとりかかろうかなと
思っているところです。
 そういえば、この本のタイトル、もう、20年以上前から
考えてました。
この『戦後最後の花婿移民 奮戦記』、
ちょっと長いなとか、変更したほうがよいかなとも
思いました。しかしながら、最初に思いついた
題名ですので、このままにします。
ただ、20年以上も寝かせておいた題名、
もう、古びてしまったでしょうか。

(プロローグのおわり)

ご意見・ご要望は、私の目安箱まで

戦後最後の花婿移民奮戦記

私が生まれた時のお話。
正直な話、私の父と母の馴れ初めも知らないし、
いつ結婚したかも知らないのです。
では、わたしの『育児日記』
そして、あの『母子手帳』から
手がかりを拾ってみることにします。

育児日記より抜粋
・生まれるまでの記録
12月14日午後10時半(父による記述です)
友子(何を隠そう私の母です)は階下の分娩室、
西野と斉藤の姉が、三号室
友子の床に並べて機械的に素早く
小さな赤ん坊用の床を準備する。
俺は傍らに毛布にくるまって横になり、
期待と俯瞰を持って此の床の主の来るのを待った。
・出生の日
昭和39年12月14日
時刻:午後11時10分
命名:真一
その由来:
常に真理を深究し真実に忠実であるように。
両親の願い:
 父:健康で神経の太い心の優しい子になるように。
 母:(1)成せば成る成さねば成らぬ何事も。
      (努力すれば何事も成功する)
   (2)青山元不動 白雲自ずからゆうゆう
      (自分の意思を硬くしてれば、他人の中をゆうゆうわたれる)
・生まれた時の記録
体重:36kg
身長:51cm
胸囲:33cm
頭囲:33cm
生まれた場所:東京都大田区
お産の状況:
13日 10:00p.m. 検診、子宮口内側一指開孔、
14日 04:00a.m.~08:00a.m. 10分間隔10秒間の陣痛
    08:00a.m. 朝食 パン三切、牛乳二本、煮たもの
    08:00a.m.~04:00p.m. 5分間隔20秒間の陣痛
    04:00p.m.~06:00p.m. 3分間隔30秒間の陣痛、晝及夕食攝らず
    06:00p.m.~08:00p.m. 1分間隔30秒間の陣痛
    08:00p.m.~11:10p.m. 1分間隔1分間の陣痛
    08:30p.m. 子宮口の開きが狭く陣痛ノミ激しいため帝王切開に決定
            奥村先生に電話
    10:00p.m. 奥村先生 千葉より到着
    10:50p.m. 手術開始(全身麻酔)
    11:10p.m. 誕生
    11:30p.m. 手術終了 奥村先生 帰宅
    12:00p.m. 友子 意識回復

  • 両親の年齢
     父  弘:32歳2.5ヶ月
     母 友子:31歳11.5月
    ・家庭状況
     住所 東京都荒川区日暮里町
        国電日暮里駅より約3分 木造モルタルのアパートに住む
        下3軒、上3軒、6軒一棟の二階、3疊、4疊半南向き
     父  弘 港区K設計事務所に製図課長として勤務
     母 友子 足立区北千住 I病院に産婦人科医師として勤務
     ここまで、書いて、わかったと思いますが、かなり父は几帳面に書き記しています。
    もちろん、初めての子育てということもあるでしょうが、非常に細かく記されています。
    しかも、生まれたとき、わたしは、大きかったです。当然ながら、生まれる前も、
    おなかに買い物かごがのっかるくらい大きかったといわれました。
    いまでこそ、あまり、目立ちませんが、当時としては、かなり大きな
    赤ちゃんだったのです。もっとも、母は、小柄だったので、なおさらだったと
    思います。そんなわたしを初めて授かったのがこの父と母でした。
    とても、大事に育てられたのをいまだに、覚えています。ただ、のちのち、それが
    よくなかった...と言われました。
    愛情を注いで、ガラスの人形を抱くように育ててしまったのは
    間違いだと言われたのは、ずっと私が大きくなってからのことです。
    わたしの両親の教育観は
    自分を育てるとき、間違っていたことに気付くのにだいぶかかったのです。
    そのことについては、また、別な機会に記述したいと思います。
    父の育児日記は、まだまだ、詳細が続きます。
    それについては、またの機会に書くことにして、
    今日は、ここまでにしておきます。続きは、また、編集して、ここに、書きたします。
    というわけで、少々、付け足します。
    本名は、少々、気がひけますので、控えさせていただきます。
    ・出産を祝ってくださった方々の控え
     お祝いに来てくださった方々
     12月15日 朝 H. すゞ 様
            昼 O. 良太郎、扶美枝 様
     12月16日 昼 武田 英 O. 良太郎、扶美枝 様
              西野 たけし 様
     12月17日 朝 H.沙千代 様
            午後 H.総男 様
     12月29日 I病院 看護婦長
     12月30日 家主 S. 俊子 様
     お祝いにいただいた品々
     西野御夫妻 アマンドの焼西菓子
           靴下
     H.すゞ  おむつ 六反
     田中様   どてら綿入り、セーター、
           カステラ一箱
     斉藤様   着物綿入り、ちゃんちゃんこ
           ベビー服一式(2~3ヶ月児用)
     武田 英、O.様
           カステラ一箱、果物缶詰一箱
     K設計製図課
           オモチャ2点
     K設計事務所 御祝 ¥2,000
     I病院看護婦有志
           毛糸
     I病院院長 御祝  ¥2,000
     I病院よりお歳暮兼 味の素箱詰 一箱
     I病院看護婦長及御見舞(果物、バナナ)
     家主 S. 俊子様
     為政様  タオルケット
     千楽部長 ベビー服セット
     三浦 清 おぶりひも及掛布団

 ざっと、こんな感じで記されています。
 当時の世相がわかりますね。御祝に2千円ですから。
 給料がどれだけだったが、想像できると思います。
 そして、おむつは、紙おむつではないですよ。布おむつです。
 今風でいえば、再利用可能おむつでしょうか。
 汚したのを洗うのは、とっても大変ですよ。
 それだけに、我が子に対する愛情も注がれたことと思います。
 ここまで、書いていて、当時の寒さ、そして、はじめての我が子を
 授かった両親の情景がなんとなくおぼろげながら、見えてきたような
 気がします。
 このあとは、私が生まれて『一日目』の内容へとうつっていきます。
一日目( 12月14日 月曜日 )
 元気よく精いっぱい泣きますね。 Yes
 皮膚がまっかで、みずみずしいですね。 Yes
 腕や足をからだにくっつけるように曲げて、よく動かしますね。 Yes
 朝方四時より微弱なる陣痛、朝食にパン三切れ、牛乳二本
 痛みの毎に吐き気を催すので、昼食を摂らず
 午後六時頃より激痛に変わるも子宮孔一指半
 八時 斉藤の姉と相談の上、切開に決定、準備
 八時三十分 西野夫妻 到着
 十時四十分 奥村先生 到着
 十時五十分 奥村先生 執刀
 斉藤和子先生 助手 斉藤裕先生 麻酔 西野光子先生 賛助
 武田 弘 立会
 手術 開始
 十一時十分 誕生
 直ちに島筒助産婦さんの手で初湯
 二階三号室で眠る
 十一時三十分 手術完了
 十二時 麻酔さめる

 これが、わたしの栄えあるこの世に生まれた日。私は全く覚えていません。
 ただただ、泣く、寝る、乳をのむの繰り返しだったにちがいないです。
 そう、ほかでもない、ここは東京都大田区の病院の一室でした。
 あ、この父の育児日記を読んでいるうちに
 私はある間違いをずっと犯していることに気づきました。
 それは、わたしの生まれた日を12月14日の『木曜日』と思い続けていました。
 でも、父の日記では、『月曜日』。これは、大発見です。

 それでは、二日目をどうぞ。
二日目( 12月15日 火曜日 )
 乳首にうまく吸いつきますね。 Yes
 胎便はできましたね。 Yes
 睾丸は陰のうの中におりていますね。 Yes
 泣いたとき顔がゆがみませんね。 Yes
 むずかったりせず、すやすや眠っていますね。 Yes
 それでは、また。次回まで、お待ちください。 

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